岡田斗司夫の正義のミカタ降板の真相




皆さんは覚えているだろうか。
おたくの王様オタキングこと岡田斗司夫が励ましていた少女を。
そう、難病の治療のために大阪の自宅から吉祥寺の病院に通っていたあのけなげな少女のことだ。
少女は難病という現実と向きあうのが怖くてなかなか病院に行きたがらなかった。
だが骨折した岡田斗司夫が苦痛に耐えながら吉祥寺から大阪の朝日放送に通って生放送に出演する姿を見て感動しついに病気との戦いを決意したのだった。その後は親の言うことをきいてしっかりと病院通いをするようになったという。

さて、ここからはオタキングこと岡田斗司夫の話になる。
オタキングがレギュラー出演していた正義のミカタに出演しなくなって2週間が経過した。世間では「けもフレ炎上騒動の影響でクビになった」などという無責任な噂が一人歩きしているが、もちろんそれは根拠のない噂だ。
ではなぜオタキングは正義のミカタに出なくなったのか?
話は3月下旬、正義のミカタでオタキング最後の出演となった日に遡る。
生放送開始直前、苦しそうな顔で脂汗を浮かべたオタキングが番組スタッフの前に姿を現した。
スタッフが声を掛ける。
「岡田先生大丈夫ですか!すごい汗ですよ!」
「だ、大丈夫。足と肋骨の骨折部分が死ぬほど痛むけど、たいしたことないよ」
「でも先週も遅刻したじゃないですか!あれも骨折した足の指が痛くて歩けなかったからでしょう!放送中にも足が痛そうで足をぶらぶらさせていたじゃないですか!」
「ほ、ほんとうに大丈夫なんだ・・・ウッ!」いきなりうめき声を上げたオタキングは胸を押さえてその場に倒れ込んだ。
スタッフが真っ青になって叫ぶ!
「おい岡田先生が倒れたぞ!救急車を呼べ!」
だがオタキングは必死に叫んだ!
「ダメだ!僕は番組に出る!難病少女がテレビの前で僕の出演を楽しみに待っているんだ!」
スタッフも負けずに叫ぶ!
「他人の心配より自分の心配をしてください!そのままじゃ岡田先生の方が難病少女より先に死んでしまいますよ!」
だがオタキングも負けていなかった。
「僕の命と引き換えに難病少女の苦痛が0.03パーセントでも減らせるなら・・・僕はこんな命いくらでも捧げてみせる!」
いつの間にか他のスタッフと共演者が取り囲んでその様子を見ていた。みんな泣いていた。そして彼らは言った。
「岡田先生がそこまで言うんだ。出演させてあげましょうよ!」
オタキングは苦痛で真っ青な顔に笑みを浮かべて言った。
「ありがとう宮崎さん」

そして番組が始まった。骨折の後遺症に苦しむオタキングを気遣って彼の発言回数は少なくなるように司会の東野さんが取り計らってくれた。
そして生放送が終了すると同時にテレビ局に電話が掛かってきた。スタッフが叫ぶ!
「岡田先生!難病少女のお母さんから電話です!たった今難病少女が退院しました!あなたのおかげです!」

それを聞いたオタキングは緊張の糸が切れたらしくバッタリと床に倒れた。
もうスタッフは躊躇しなかった。救急車をすぐに呼んだ。
担架に乗って運ばれていくオタキングにスタッフが告げる。
「岡田先生、もう難病少女は退院しました。骨折患者のあなたが苦痛に耐えてこの番組に来る理由もなくなった。来週からはゆっくり休んでくださいよ」
オタキングは気弱な笑顔で言った。
「ハハハ。どうやら僕はクビになってしまったようだね」
共演者たちが笑って言う。
「そんな冗談を言えるなら大丈夫そうだね。しっかり骨折を治してまた元気に復活してくださいよ」
オタキングが乗せられた救急車を見送りながらスタッフと共演者が口を揃えてこう言った。

「やっぱりすごいぞオタキング」